社長・丹羽が本音で語る!住まいと暮らしここだけの話

2025.08.24

県岐阜商・横山選手はなぜ凄いのか

夏の甲子園は
沖縄尚学が初優勝。
 
戦後80年の節目に
深紅の大優勝旗が東シナ海を渡り
沖縄に届けられるというのは
とても感慨深いです。
 


 
それにしても
今年の夏の甲子園は
実に面白かった。
 
名前をよく知っている
伝統校・実力校が順当に勝ち進んだから
ということもありますが
 
純粋に好ゲーム・好選手が多かった
という要素が大きいような気がしますね。
 
中でも個人的に最も心を引かれたのは
県立岐阜商業高校の横山温大選手。
 


 
なんて凄い選手なんでしょうか。
 
マスコミが横山選手のことを
「左手指のない」という形容詞をつけて
感動の物語に仕立てようとするのには
正直言って違和感を感じるし
 
ハイレベルの実力を備えた
一流の高校球児として
真っ当に評価すべきだと思いますが
 
それでもやはり左手の指がないことが
ハンデにならないくらいの
とてつもない努力をしていることが
否応なしに伝わってきました。
 
実は私も左手にハンデがありまして。
生まれつき指が3本しかないのです。
 
まあそのせいで子供の頃は
「なんで自分が」と気に病んだし
いじめられたこともあるので
 
彼がこれまでどんな思いを抱いて
生きてきたのか想像はつくのですが
 
しかし横山選手が凄いのは
「こんな身体に産んでごめんね」
と自分を責めるお母さんのために
 
二度とそんなことを
お母さんに言わせないよう努力し
それを成し遂げたという鉄の意志。
 
むちゃくちゃカッコいいじゃないですか。
男の中の男とはこういうことですよ。
 
きっと私の母も同じような思いを抱えて
私を育ててくれたに違いないのですが
 
私は横山選手のような
労りと感謝の言葉を母に伝えていないし
何かを成し遂げて喜ばせてもいない。
横山選手の足元にも及ばない。
 
こんなんじゃいけないと思いましたね。
 


 
 
左手にハンデがあっても
会社経営にはまったく支障がないので
 
普段は自分が障害者であることを
まったく忘れているくらいなのですが
 
私という人間の
アイデンティティを形成した
大きな要因であることは間違いないし
 
こういう身体に生まれた意味が何で
だからこそ何を成すべきなのか
見つけ出す使命があるはずなので
 
40歳近く歳の離れた
彼に負けないよう一段ギアを上げて
会社経営に取り組みたいと思います。
 
それではまた明日!