社長・丹羽が本音で語る!住まいと暮らしここだけの話

2025.01.17

阪神・淡路大震災から30年、残り続ける深刻な問題

阪神・淡路大震災から
30年目の1月17日です。
 
戦後の日本において
都市を壊滅させた最初の震災として
絶対に忘れることはできません。
 
当時、大手ゼネコン勤務で
妻と結婚して2年目だった私は
 
震源から遠く離れた岩倉市内の
鉄筋コンクリート造のマンションの
3階に住んでいましたが
 
あの日の朝5時46分
震度4の大きな揺れに驚いて
飛び起きたんですよ。
 
すぐにテレビをつけると
緊急報道が始まっていて
 
次第に明らかになる
未だかつて見たことのない惨状に
言葉を失ったのを鮮明に覚えています。
 

※出展:nippon.com

 
 
この阪神・淡路大震災、
5,488人もの方が亡くなりましたが

その死因の約3/4(77%)が
建物の倒壊や家具の転倒による
窒息・圧死でした。

 
圧死というのは
強い力で押しつぶされて
窒息死すること。
 
強い圧迫によって
心臓や肺が動かなくなり
死に至ります。
 
阪神・淡路大震災ではほとんどが
死亡推定時刻が当日6時までの
即死状態だったとされていますが
 
長時間苦しんだ末に亡くなったり
救出できずに火災になって
焼死された方も少なからずいます。
 

※出展:千葉市:わが家の危機管理マニュアル

 

そのような悲惨な圧死の
原因の大部分を占めるのが
 
震度7の激震に耐えられず
足払いを受けるように倒壊した
耐震性の低い古い木造家屋。

 
昨年1月の能登半島地震でも
この耐震性の低い古い木造家屋が
 
再び多くの人を死に至らしめたのは
みなさんも覚えているでしょう。
 
もっと耐震性が高い家だったら
倒壊せずに済んだかもしれないし
 
もっと耐震性が高い家が
建ち並んだ地域だったら
 
倒壊した家が中にあったとしても
救助車両が迅速に駆け付けて
救出できていたかもしれません。

そんな耐震性の低い古い木造家屋は
日本全国の至るところに
 
もちろん岩倉市とその周辺にも
依然としてたくさん残っていて
 
そして大抵の場合
被災したら自力での脱出が困難な
高齢の方がお住まいになっています。

 

 
「まさか俺んちが」
「地震が来たらその時だ」
 
などと他人事のように
考えていらっしゃるかもしれませんが
 
家屋倒壊の当事者になったら
ご自身が苦しむだけでなく
 
愛するご家族やご近所の方まで
巻き込む可能性があるということを
どうか分かっていただきたい。

耐震性の低い木造住宅に
住み続けるということは
 
無保険で自動車を運転する以上に
危険な賭をしているということに
一刻も早く気付いて
 
自分と大切な人の命を守るために
何をしなければならないかを
真剣にお考えください。

 

 
それではまた明日!