社長・丹羽が本音で語る!住まいと暮らしここだけの話

2025.04.25

その家づくりに犠牲者はいませんか?

昨日は結婚記念日でした。
 
1993年4月24日ですから
32周年ということになります。
 
1988年、大学1年生の夏休みに
高校の同級生の紹介で初めて会って
すぐに付き合い始め
 
4年近くに及ぶ遠距離恋愛の後
就職して名古屋支店配属となり
それから1年を経てのゴールインでした。
 
最初の住居は岩倉市内の
2LDKのアパートに約2年。
(ちなみに当社施工でした)
 
次は部署異動に伴い
豊橋市の2LDKのアパートに約2年。
(その間に長女誕生)
 
次は部署異動に伴い
東京・木場の3LDKの社宅に約4年。
(その間に長男誕生)
 
前職の退職と当社への入社に伴い
岩倉市内の3LDKのアパートに約3年。
(ちなみに当社施工でした)
 
そして自宅が完成して入居、
現在に至ります。
 

 
結婚10年目で家づくりに着手し
11年目で入居したわけですが
 
夫婦でとことん話し合った結果の
2人の望む人生のための家づくり
というには程遠いものでした

 
なぜか。
 
そもそも論として
妻は

  • サラリーマン世帯の方が気楽
  • 夫の地元の岩倉は避けたい
  • 夫の実家での同居は避けたい

という願望を
持っていたのに
 

長男だから
跡取り息子だから
仕方がないだろ
 
という私の都合で強行した
前職の退職であり
家づくりであったからです。

 

 
しかもろくに意志を確認せず
「分かってくれるよね?」
という極めて身勝手な判断。
 
加えて、それによって妻が
どんなに苦痛を感じるかとか
まるで分かってないという
救いようのない鈍感さ。
 
望んだのと正反対の
相当な精神的苦痛が生じる環境に
無理矢理置かれたにも関わらず
 
よくぞ離婚せずに
ここまで連れ添ってくれた
ものだと思います。
 

 
まあ、そんな中でも
2人の子どもを育て上げ
母とも円満にやっているので
 
結果的に幸せになれていると
言えるかもしれませんが
 
ここまで譲歩(というか我慢)
してくれた妻には
とても頭が上がりません。

 
だからこの借りは
生きているうちにきっちり返して
 
この人と結婚して良かった
と心の底から思ってもらえるよう
改めて頑張ろうかなって思います。
 

 

ということでこれをお読みの
これからの家づくりをお考えの方。
 
ちょっとやそっと話したくらいで
相手のことを分かったつもりに
なっちゃいけませんよ。

 
あなたがこれから
進めようとしているのは
人生最大の買い物です。
 
絶対に後悔しないよう、
絶対に失敗しないよう、
誰も犠牲者にしないよう、
 
腹を割ってとことん話し合って
納得ずくで、合意の上で、
進めていくんだと言うことを
肝に銘じてくださいね。

 

 
それではまた明日!